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福岡地方裁判所田川支部 昭和39年(ヨ)11号 決定 1964年4月24日

申請人 甲斐利明 外七名

被申請人 田川構内自動車株式会社 外一名

主文

(一)、被申請人田川構内自動車株式会社は、別紙当事者目録(一)記載の(1)ないし(4)の各申請人に対し、被申請人毎日交通有限会社は、同目録記録の(5)ないし(8)の各申請人に対し、それぞれ別紙賃金表中「支払を命ずる金額」欄記載の(イ)の当該金員並びに昭和三九年五月七日限り同欄記載の(ロ)の当該金員の各支払をせよ。

(二)、申請人等のその余の申請を却下する。

(三)、申請費用は、被申請人等の負担とする。

(注、無保証)

理由

(申請人等の求める仮処分の裁判)

(一)、被申請人田川構内自動車株式会社は、別紙当事者目録(一)記載の(1)ないし(4)の申請人等に対し、

(二)、被申請人毎日交通有限会社は、同目録記載の(5)ないし(8)の申請人等に対し

別紙賃金表の申請人主張の平均賃金欄に記載の各当該金員を、それぞれ昭和三九年三月七日以降毎月七日限り支払え。

(当裁判所の判断)

疏明せられた事実のうち、当事者間に争いが存しない部分は、次のとおりである。

(一)、被申請人等は、いずれも一般乗用旅客自動車運送事業を営む同系統の会社であつて、別紙当事者目録(一)記載の(1)ないし(4)の各申請人は、被申請人田川構内自動車株式会社(以下田川構内という)の、同目録記載の(5)ないし(8)の各申請人は被申請人毎日交通有限会社(以下毎日交通という)の、各従業員(運転手)でありかつ、申請人等は全国一般合同労働組合直鞍地区一般合同労働組合(以下組合という)の組合員であること。

(二)、申請人等を含む被申請人等従業員の一部は、昭和三九年二月八日職場を放棄し、同日午後八時頃、組合の名をもつて被申請人等に賃金大巾引上げ、勤務時間大巾短縮、労働基準法完全実施等の要求を掲げて団体交渉を申入れ、田川市内伊田、北九州器機株式会社の二階で団体交渉が開かれたこと。

(三)、被申請人等は、その席上、組合側に右従業員等の就労を要求したが、組合側はこれを拒否し右従業員等は、被申請人等の車輌を持つたまま田川郡川崎町池尻丸山寺に集結したこと。

(四)、同月一〇日組合側は、右車輌の返還を被申請人等に申出で(その返還の真意及び返還の事実に関しては争いがある。)、被申請人等は、車輌のみならず、車体検査証、自動車損害賠償責任保険証及び鍵(右車輌に備付けていたもの以下検査証等という)の返還を求めたが、検査証等は、当日は返還されなかつたこと。

更に疏明資料によれば、以下の事実が認められる。

(1)  昭和三九年二月八日、申請人等を含む田川構内伊田、後藤寺及び川崎各営業所の運転手、毎日交通西大通、錦町及び後藤寺毎日各営業所の運転手合計約七〇名は正午頃より業務を放棄して田川市労働会館に集結し(同日朝、会社の業務の為め右従業員等が運転して出た被申請人等の車輌五六台は、この時以後検査証等を含み右従業員等の支配下におかれることとなつた。)組合に加入し、組合田川分局を結成し役員を選出のうえ、組合副執行委員長鎌田潔を代表として、被申請人等に前記(二)の要求事項をもつて前記(二)のとおり団体交渉に入つた。しかし当日は、ほとんど進展をみないまま組合は、前記(三)の就労命令を拒否して、ストライキを宣言し交渉は打切られた。以後の組合側の行動は前記(三)のとおりである。

(イ) 被申請人等は、組合側が抜打ち的に職場放棄し、抽象的な要求事項を掲げて具体的検討の余裕を与えず、ストライキを宣言しかつ争議手段として、被申請人等の管理を排して車輌、検査証等を支配下においたことをもつて、その違法を主張する。

(ロ) なるほど右組合側の要求事項をみると、賃上げ、労働時間短縮については、具体的な額や時間数を示さず、また前記(二)に記載の事項のほか運転事故費の会社負担、懲戒、人事異動その他一定の事項についての事前協議制の採用その他総計七項目を含む協約締結の要求が為されており、たしかに一部は抽象的でありかつこれを別としても多岐にわたり、即日の交渉ではとうてい審議を尽くすことは不可能であつたと認められる。その以前にこれらの全部又は一部が従業員等から被申請人等に要求として提出されていた事実はない。組合側が抜打的に職場を放棄し、当日の協議不成立を理由にストライキを宣言し、また車輌、検査証等を自己の支配下に置いて被申請人等の管理を実力で排したことは前記認定のとおりである。

(ハ) しかし、組合側がかかる手段を用いた原因を考えてみると何よりも組合としては、被申請人等が組合の存在を嫌悪し、若し従業員等が通常の就業状態のままで組合に加入し、団交を行えばいわゆる切り崩しや妨害により、団結を破壊されるのではないかとおそれ不信感を抱いていたことにあると認められる。そうしてかかる不信感は、昭和三八年四月、被申請人等と同系の小倉構内等の運転手が組合を結成し争議を行つた際、申請人藤田同沢田を含む被申請人等の従業員が、被申請人等会社側の指示により、車輌の引揚げ、争議中の会社の営業の為めの労力提供(いわゆるスト破り)に動員された事実によつて裏付けられており、そうすれば、組合側がかかる争議方法(但し、車輌、検査証等の占有の点を除く)を選んだとしても、直ちに信義則に反し、争議権を濫用したものとはいえず、この点の違法の主張は理由がない。

(ニ) 次に、組合側が被申請人等の営業財産たる車輌、検査証等を、被申請人等の管理を排して、自己の支配下においた点については、争議行為の正当性の限界を超えたものであり、違法と考えるが、それが賃金請求権とどう関係するかは後に述べる。

(2)  ところで、同月一〇日午後二時すぎ頃、組合は、被申請人等に車輌を連ねてこれを返還する旨申出たので、被申請人等はとりあえず同系の田川市西区桜町にある平和タクシー株式会社の第二車庫で返還をうける旨指示し、組合は同所に車輌を回送した。そうして同所において、毎日交通代表者兼田川構内役員である嘉久茂、被申請人等の管理職員である千葉、五十川等立会いのうえ、車輌の引渡しが行われることとなつたが、その際組合側は、共産党田川地区委員会常任委員犬飼憲を代表として、組合員等の就労を申込み、これに対して、被申請人等は、車輌(検査証等を含む)の完全引渡が先決であると主張し約一、二時間交渉したが、話合いがつかなかつた。そこで、双方は同日午後八時頃から場所を前記北九州器機の二階に移し再度の交渉に入つたが、このときも組合側の就労要求と、被申請人等の車輌、検査証及び二月八日の運賃収入の完全返還並びにメーター、工具、備品の点検の要求とが対立し、特に就労承認と、検査証等の返還のいずれを先に行うかの点で合意にいたらぬうち、被申請人側が組合員が非組合員に圧力をかけていると主張したことがきつかけになつて話合は決裂した(このとき他に労働条件に関する問題が交渉の対象となつた事実は認められない。)その間組合員等は、車輌を右第二倉庫に入れ、検査証等は引渡さないままで退去した。

(イ) 被申請人等は、当日就労要求はなかつたと主張しているが、若しそうだとすれば、違法性の問題は別として組合側は車輌を置いたまま検査証等を持つて直ちに退散することも事実上可能だつた筈であり、何故そのように長時間にわたり、場所を変えてまで交渉しなければならなかつたのか理解できない。結局車輌や検査証等の返還にからませて就労の交渉をしたものと認めるのが相当である。また組合は、その後同月一三日、伊田郵便局差出しの内容証明郵便をもつて、就労の要求をしており、この事実も右二月一〇日組合側が就労要求をしたことをうかがわせるものである。

(ロ) そうして、組合側が右一〇日の交渉でまず就労の承認を取りつけるという態度を固守したのは、やはり前記(1)の(ハ)に示すとおりの不信感に支配され、車輌、検査証等をまず返還すれば、就労できないままの状態に放置され、その間に組合弱体化工作が行われると考えたことによると認められる。また、組合としては、被申請人等が就労承認につき誠意ある回答を示せば、右車輌及び検査証等を返還する真意を持つていたことも認められ、このことは、被申請人等も了知していたものと認められる。

(3)  そうすれば、右の組合の抱く不信感は、被申請人等が自ら原因をこしらえたのであり、また当時被申請人等がまず就労を承認したとしても、それによつて特に営業上の損害を増大する事情にあつたものとも認められない(現実の就労は、車輌、検査証の返還後車体の整備点検が終り次第に行わせれば足り、また当日の組合の要求も、右の余裕も認めない意味での即時就労要求ではなかつたことが認められる)。

(4)  以上の事情を考慮し、更に本項に認定のその後に発生した諸事実を考え併せると、当時被申請人等が、車輌、検査証等の返還、運賃収入の清算等をまず要求したのは、単に違法状態を解消させるという目的だけではなく、この不就労の状態のもとにおいて組合が弱体化するのを期待し、さらにこれを積極的に実現せしめるという意図があつたことを窺うことができる。即ち、

(イ) 同月一一日頃以降前記小倉構内の車輌を回送して営業を応援させ、また逐次就労人員補充の為めの新規採用を行い(同月二三日までの間に、合計三〇人を採用。)、損失の軽減を計ると共に、

(ロ) 組合員等に対して個別に説得工作を行つた。(申請人等の中でも、申請人藤田は修理工場整備主任原昭から、「争議には勝てん」とか、申請人沢田は毎日交通の支配人格の田庭から「組合を支持している者は赤がかつている」とか、申請人森本は日本観光事故係野本から「いくらストをやつても駄目だ、二、三万でも貰つて退職し、また働いたらどうか」とか、申請人斎藤は小倉構内の田中重男から「ストはやめて帰れ」とかの説得をうけており、これが被申請人等の意思と全く無関係に行われたとは認め難く、またそれ以外の組合員等にも同種の工作が行われていることを推測させる。)

(5)  使用者が、従業員の就労要求を拒否して、なお賃金支払義務を免れるのは、民法第五三六条二項により、使用者側に帰責事由なくして労務提供を受領し得ない場合に限ると解すべきところ、本件では組合に前記の車輌、検査証等占有の違法はあるとしても、組合は結局これを返還して就労する旨の申出をしたのであり、ただその返還が就労承認を前提とするものではあつたが、それは被申請人等に対する不信感によるものであり、その不信感は、前記認定の(1)の(ハ)、(4)等により単なる誤解や曲解にすぎないものとは認め難い。従つて前記認定の(3)、(4)の事情及び意図のもとに、被申請人等が就労承認を拒み、その結果組合員の就労が為されなかつた事実は、被申請人等の責に帰すべき事由によつて、組合側は労務の提供を為すことができなかつた場合にあたるものと解するのが相当である。よつて被申請人等は、昭和三九年二月一〇日車輌と共に検査証等の返還もうけたならば、車体点検、整備に必要な日数を置いて、就労せしめ得たであろう時より現実に就労させる迄の間の賃金支払義務を免れることはできない。この準備期間は、車輌数、争議開始後の日数を考慮し、三日間(二月一三日迄)と認めるのが相当である。

(6)  右二月一〇日以後の経過のあらましをみると、同年二月二三日に団交が開かれたが解決せず、同年三月一九日の地労委のあつ旋により、まず同月二一日検査証等が返還され、ついで四月六日のあつ旋を経て、同月九日から組合員等は、現実に就労した。その間組合から離脱する者相次ぎ最後には、申立人等八名と他一名の合計九名となつた。

(7)  右のとおりであつて、その間組合側に就労要求を撤回した事実は認め難い。もつとも、前記二月二三日の交渉において、組合は、検査証等を返還するから、組合員等を従前の営業所、従前の車輌に戻すことで就労を認めるよう要求し、被申請人等は、争議発生後各営業所にはかなりの新規採用をしているので、その完全実施は不可能、但し、英彦山とか油須原のような(遠隔地の)営業所にやるようなことはしないと答えたが、組合はこれを承諾せず、交渉は打切りとなつた事実は認められる。被申請人等はこの点をもつて、不可能なことを要求しているのであるから、実質的には組合側の就労拒否であると主張する。しかし、これは被申請人等が二月一〇日に就労を認めなかつたことによつて生じた事情であり、また組合はこのことを冒頭から持ち出したものではなく、被申請人等が、就労については、検査証等の返還後、各組合員に対して直接個別に指示すると述べ、ことさら組合を避けた態度を示しかつその日時等を明示しなかつたことから、放置されたりあるいは差別待遇をされるのではないかとおそれた組合が、その具体的保障を求める趣旨で提出した条件であると認められるから、この事実をもつて、就労拒否であり、前記二月一〇日の就労要求の撤回であると認めることは困難である。

(8)  そこで、申請人等の賃金は、いずれも毎月一日から末日迄の分を翌月七日に支払われることになつていたと認められるところ、その二月一四日以降の賃金額は、労働基準法第一二条の平均賃金算出の方式によつて算出するのを相当と認めるから、まず認め得る、昭和三八年一一月ないし昭和三九年一月分の賃金を合算し、それに基き算出したところ、別紙賃金表のとおりである。

(9)  申請人等は、いずれも被申請人等に雇傭され、よつてうける賃金によつて生活していたもので、就労を拒否されて以来賃金を支払われず困窮した生活を続けて来た事実が認められ、また前記のいきさつにより被申請人等は、就労を認めた日の前日である昭和三九年四月八日までの賃金の任意支払をしないであろうこともあきらかである。しかし、前記のとおりすでに申請人等は四月九日より就労している事実も考慮し、必要性を判断すると、本件仮処分において、被申請人等に対し支払を命ずるのは、別紙賃金表に記載の各申請人等に対するすでに弁済期の到来した賃金(二、三月分)及び昭和三九年五月七日に弁済期の到来する賃金(四月一日より同月八日迄の分)のうちの各六割とすることをもつて、相当と認める。よつて、この限度で本件仮処分申請を相当と認めてこれを認容し(無保証)、その余はこれを却下し、申請費用の負担については、民事訴訟法第九二条但書、第九三条一項本文を適用し主文のとおり決定する。

(裁判官 岡野重信)

(別紙)

(銭未満切捨)

目録(一)の申請人

(申請人の主張の平均賃金)

三八年一一月分~三九年一月分の合計

日額

(平均賃金)

(イ)三九年二月一四日~三月末日迄の賃金

(履行期到来)

(ロ)三九年四月一日から就労前日迄の賃金

(履行期末到来)

左記支払を命ずる金額

((イ)(ロ)×〇、六)

(1)

甲斐

(二四、八一三円)

七四、四四〇円

八〇九円一三

三八、〇二九円一二

六、四七三円〇四

(イ)二二、八一七円四七銭

(ロ)三、八八三円八二銭

(2)

松下

(三一、五七五円)

九四、七二五円

一、〇二九円六一

四八、三九二円一一

八、二三六円九五

(イ)二九、〇三五円二六銭

(ロ)四、九四二円一七銭

(3)

斎藤

(一九、三三五円)

五二、九〇二円

五七五円〇二

二七、〇二六円〇一

四、六〇〇円一七

(イ)一六、二一五円六〇銭

(ロ)二、七六〇円一〇銭

(4)

本田

(二〇、八〇四円)

五〇、二四九円

五四六円一八

二五、〇六七円六八

四、三六九円四七

(イ)一五、四〇二円四〇銭

(ロ)二、六二一円六八銭

(5)

沢田

(二九、九八〇円)

八九、九四〇円

九七七円六〇

四五、九四七円六〇

七、八二〇円八六

(イ)二七、五六八円五六銭

(ロ)四、六九二円五一銭

(6)

(二四、八〇四円)

七四、四一四円

八〇八円八四

三八、〇一五円八四

六、四七〇円七八

(イ)二二、八〇九円五〇銭

(ロ)三、八八二円四六銭

(7)

藤田

(二三、一三八円)

六九、三五六円

七五三円八六

三五、四三一円八六

六、〇三〇円九五

(イ)二一、二五九円一一銭

(ロ)三、六一八円一七銭

(8)

森本

(二五、三四三円)

七六、〇三一円

八三七円二九

三九、三五二円七八

六、六九八円三四

(イ)二三、六一一円六六銭

(ロ)四、〇一九円〇〇銭

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